『南の島』

第一話・男一人に女二人

 俺はビーチボールを投げた。
 梢(こずえ)と茜(あかね)の間にビーチボールが落ちるように。
 それもワザと。
「きゃーっ!」と梢。
「あれぇー!」と茜。
 緑色を帯びた海水が梢と茜の足元から飛び跳ね、透明になった水滴が飛び散った。
 ザブーン。
 ドボーン。
 梢と茜はビーチボールを受け損なって海水の中へと肩まで沈む。それでも二人はお互いに取られまいとして、ビーチボールにしがみ付いている。フッとした瞬間に茜がバランスを崩して、今度は頭まで海水の中へと沈む。その隙に梢はビーチボールを奪い取り、勝ち誇った様子で俺を見た。
「峻(しゅん)クン、行くわよぉー!」
 梢は、たどたどしい手振りで俺にビーチボールを投げる。しかし、ビーチボールは海風の影響で俺までの距離の三分の一も届いてなかった。水の中から立ち上がった茜がここぞとばかりにビーチボールに跳び付いて拾上げた。
「今度はあたしよ」
 海風が途切れた一瞬、茜はビーチボールを投げた。俺のところまで届いて頭上を越えようとした時、バレーボールのアタックのようにジャンプしてビーチボールを平手で打った。ビーチボールは鋭いスピードで、またしても梢と茜の間に飛んだ。
「あーん、ダメよぉ!」と茜。
「ずるいよー、もう!」と梢。
 梢と茜の二人は共にジャンプキャッチしようとしたが、ビーチボールは海風に乗ってふたりの頭をふわりと超えて飛んだ。ビーチボールにカスリもしなかった二人は見事に水の中に頭まで沈んでいった。
「あはは、ごめん、ごめん」
 俺はそう声を掛けながら彼女たちの間を飛沫を上げながらに走り抜けてビーチボールを拾上げた。振り返ると頭からずぶ濡れになった梢と茜がほぼ同時に立ち上がった。
「もう、酷いんだから」と梢。
「あーん、ビショビショよぉ」と茜。
 俺はビーチボールを小脇に抱えて二人に近づいた。
「今日は風が強いから」
 全然言い訳にもなっていないと思ったが、俺はとりあえずそんな言葉を口にしていた。
「峻クン、ちゃんとやってよ!」
 そう言いながら、茜は頬に付いた後れ毛を払い除けていた。茜のツインテールにした黒髪がグッショリと濡れて、その毛先が首筋に張り付いて妙に色っぽかった。茜の水着は、アンダーはフリルの付いた黒一色で、トップは白と黒の細いボーダーの三角ビキニで胸の谷間のところにボーダーのリボンが付いていた。そのリボンは既に水に濡れてしな垂れていたが、茜のデカい胸のボリュームのお陰でいやが上にも目立っていた。
「峻クンってば、全くメチャクチャなんだから」
 ロングヘアを後ろ手にまとめながら、俺にニコリと笑う梢。浅黒く焼けた肌にオレンジ色の水着姿がとても映えている梢だった。長身でスタイルのいい梢だが、梢の水着はバスト・トップからお腹に掛けてフリルが付いてたモノキニで、後から見るとビキニのようだが両の脇腹が大胆にカットされたワンピースの水着だ。逆にこの水着の方が、梢のスタイルの良さを強調されているようでセクシーだった。
「それじゃビーチボール遊びは止めて、かき氷でも喰おう」
 俺がそう言うと、梢と茜の二人は満面の笑みで声を揃えて叫んだ。
「賛成!」
 二人は波打ち際へと走り出した。俺はビーチボールを弄びながらゆっくりと波打ち際に歩き始めた。
 茜は先にビーチパラソルの方へ行ってしまったが、梢は波打ち際で待っていた。ニコリと笑うと俺の方へ歩み寄ってきて、左腕にしがみ付いた。モノキニの胸のところについているフリルの柔らかい感触が俺の二の腕に伝わってきた。左側の唇をキュッと上げて不敵に笑う梢に、俺は悪い気はしなかった。
 海の家で借りたビーチパラソルの近くまで梢と腕を組んで歩いていくと、タオルで髪を拭いていた茜がいち早く、そして鋭く、更に目ざとく、それを見付けて指を差して怒った。
「あーっ!ずるいーっ! あたしもやるぅ!」
 立ち上がって駆け寄ってきた茜は、梢のいない反対側の俺の腕にしがみ付いた。俺の二の腕は、茜のボリュームある、柔らか過ぎず硬過ぎず丁度良いバストの谷間に埋まりそうだった。
 だが、心地良さよりもそれとは全く違う不快感が俺を満たしていた。
「おまえら、暑いんだよ! 引っ付くんじゃないっ!」
 俺は両の腕を大きく振り回して、梢と茜を振り払った。
「ん、もう」と頬を膨らませた茜。
「あーん、残念」と悔しそうな梢。
 俺はビーチボールをパラソルの下に置いて、無言のまま梢と茜を振り返らずに海の家へと走り出した。
「あん、待ってよぉ」と俺を追って駆け出す梢。
「ずるい、ずるい、絶対にずーるーいーっ!」とその後を追い着いてきた茜。
 砂に足を取られながら走ってきた梢と茜はハアハアと息を切らしていたが、涼しい顔で海の家のテーブルに座っている俺を見付けると、更にハアハアと息つきながら、争って俺の横に座ろうとした。
「向こう側で並んで座ってよ。二人の顔が見たいからさ」
 俺はやんわりと二人の争いに釘を刺したのだが、梢と茜は『顔が見たい』の言葉の方に納得して、二人仲良くテーブルの反対側に静かにおとなしく並んで座った。
「しおらしくて可愛いな」
 俺がポツリと呟くと、梢と茜はまるで自分のことを褒められたかのようにモジモジとして顔を赤くした。
「かき氷、何にする?」
 俺は二人に尋ねた。
「峻クンと同じもので」
 二人は声を合わせて答える。
「俺は、宇治金時にあんこ増量で練乳たっぷりだけど、それでいいのか?」
 梢は目を丸くして驚き、茜は顔が引きつっていたが、二人とも大きくうなずいた。俺は手を挙げてお店の人を呼んだ。
「何にいたします?」
 高校生バイト風の女の子がオーダーを取りに来た。
「えっとね、この二人は『宇治金時にあんこ増量で練乳たっぷり』で」
 梢と茜は「えっ!?」という顔をした。
「んで、俺はねぇー、おねぇさんのお奨めのかき氷は何?」
 俺はバイトの女の子に訊いた。
「お奨めですか? そうですねぇ、『いちご』が一番注文が多いと思いますけど」
「んじゃ、俺は『ブルーハワイ』にする!」
 バイトの女の子はキッと俺を睨みながら注文書に書き込んで、復唱して確認した。
「えーっと。『宇治金時にあんこ増量で練乳たっぷり』がお二つ、『ブルーハワイ』がお一つですね?」
「それでOK」
 俺は、バイトの女の子ににこやかに笑ってオーダーを了承した。
「ありがとうございまーす。しばらくお待ちくださいね」
 バイトの女の子は、満面の笑みで俺に手を振って店の奥に消えていった。俺も手を振って女の子を見送ってから正面を見た。すると、梢と茜の額に青筋が立っていた。
「ん? どうしたの?」
 俺は涼しい顔で問い掛けた。
「馴れ馴れしいわね、あの娘! どういうつもりなのかしらっ?」と梢。
「あの娘、峻クンとどういう関係っ?」と茜。
 俺は「は?」という感じだった。おいおい、この場面では普通、どっちかというと俺のオーダーに文句を付けるところだろう。違うか? それがだ、オーダーを取りに来た女の子と普通に喋っただけでこれかい!
「何も関係ないよ。ただオーダーを取りに来たウエイトレスじゃんか」
 俺がそう言うと、梢と茜は更に藪睨みになった。
「ほーんーとーにーぃ?」
 不気味なほど声のトーンと口調を合わせて俺に詰め寄る梢と茜。
「ホントだってば!」
 それでも訝しい目付きで俺を睨む梢と茜。
「お待ちどう様でした!」
 その声に反応した梢と茜は、バイト風女の子の顔をかなりきつくジロリと睨んだ。
「え! えー、えっと、『宇治金時にあんこ増量で練乳たっぷり』はこちらの美人お二人でしたね」
 そう言いながら女の子はもたつくことなく、茶色と乳白色で抹茶色が見えなくなっているかき氷を梢と茜の前に置いた。この娘はなかなか機転が利くなと、俺はそう思った。
「ブルーハワイはこちらのお客さんですね」
 そう言って女の子が俺の方を向いてかき氷を置いた時に、俺は女の子にウインクした。すると、女の子は二人に悟られないように、俺に向かってウインクを返してきた。
「あぁ、そうだ。ありがとう」
 女の子は微笑を残して、再び店の奥へと消えていった。
 美人という言葉に気を許したのか、梢と茜の表情はスーッと柔らかくなっていた。
「ちゃんと分かってるじゃない」と梢。
「意外といい娘かもね」と茜。
 そう言いながら、あんこと練乳でメチャクチャに甘くなっている抹茶のかき氷をムシャムシャと貪る梢と茜の態度を見て、俺はかなり呆れていた。
 ブルーハワイは甘いだけのかき氷なのに、ほんのりとソーダ水のような清涼感があった気がした。だが、それは気のせいだろうか?

 やや陽が傾いて影が少し長くなった頃、俺は梢と茜に帰り支度をするように言った。はっきり言って、梢と茜の二人を相手にするのは少々辛くなってきたのだ。
 寿(ひさし)に借りたレガシーに荷物を積んでバックドアを閉めた時、梢と茜が言い争っていた。
「あたしが助手席に座るのよ!」と茜。
「いいえ、私よ! 私が座るの!」と梢。
 俺は頭を抱えた。
「喧嘩するなら、二人とも後部座席に乗ってくれ! 俺の言うことを聞き入れないのならここに置いてくぞ」
 俺はサッサと運転席に乗ってエンジンを掛けた。すると二人とも大人しく後部座席に並んで座った。俺はバックミラーでそれを見届けてから、車を発進させた。

 今日の「海へ行く行程」の逆を辿り、後で乗せた茜を先に降ろす。茜のマンションの前でバックドアを開けて茜の荷物を降ろした。
「じゃ、またね。またゼミの打ち合わせしなきゃね」
「そうだね。また連絡するよ」
「うん、分かったわ。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 俺は車を走らせた。だが、まだ後部座席には梢がいる。
「茜とは意外とアッサリな関係なのね」
 梢は後部座席から身を乗り出してきた。
「まぁね」
 俺は曖昧な反応を返した。
「私はそうじゃないわよ」
 梢が不敵に笑って言葉を続けた。
「私は今すぐに、次の約束が欲しいわ」
 梢は後部座席から俺の肩に掌を乗せた。
「今度は私の車で連れてってあげるわ。いいでしょ?」
 俺は黙っていた。だが、長い沈黙を破ったのは梢だった。
「沈黙は了解と受け取るわよ。それでもいい?」
 それでも俺は黙っていた。
「来週、私が迎えに行くわ。時間はまた連絡するから」
 そう言い終わると梢の家に着くまで、車内は沈黙が制していた。
 
Copyright 2012 Dan Qei All rights reserved.