『南の島』

第四話・茜という女の子

「そう、そういうこと!」
 茜の顔が引きつっていた。
「何がだよ?」
 俺は動揺しながらもポーカーフェイスを決め込むことにした。
「だから、今日は電話に出なかったのね」
 茜にそう言われて、俺は携帯電話の着信履歴を見た。十数回の着信と数件のメールが入っていた。着信もメールも全然気が付かなかった、というよりそんな時間の余裕を梢は与えてくれなかった。もっとも、あんなリゾート地で携帯電話なんてものは「野暮」でしかないとは思っていたけれどな。
「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけどね」
 俺は相変わらず、中途半端な謝罪しか出来なかった。
「嘘! 楽しかったって顔に書いてあるわよっ!」
 茜の腕が震えていた。
「うん、確かに楽しかった」
 バカな俺はつい正直に感想を漏らしてしまった。ヤバイなと思いつつも。俺の言葉で唇を真一文字にした茜。心なしか、目に涙が溜まっている感じがする。
「あたしと居るよりも?」
 茜は言葉を振り絞るのに精一杯の様子だった。
「そうでもない」
 俺はまた口から勝手な言葉を吐いていた。しかし、その言葉を聞いた茜はハッとしたようだった。
「ホントに?」
 俺はニコリと笑った。
「あぁ、ホントさ」
 それを聞いた茜は堪りかねて、俺に駆け寄って抱き付いた。
「もうっ! とっても心配したんだから!」
 俺もアカネを抱き締める。
「悪かった。ごめんよ」
「ホントに、ホントに心配したんだからねっ!」
 茜はもう泣きじゃくっていた。
 俺は茜を落ち着かせようと、茜と手をつないで近くの喫茶店へと向かった。

 コーヒーを飲んで落ち着くと、茜がこう言った。
「今度は、あたしとデートしてよ」
 俺は驚いた。初めて茜が大胆な発言をしたような気がする。驚いている俺に茜は追い討ちを掛けた。
「いいじゃない。あの女(ヒト)だって峻クンとデートしたんだもの」
 意外と茜は言い出したらきかない性質だ。それはゼミで一緒にやってきた経験からの俺の答えだった。俺はやれやれと思いつつ、そんなことはおくびにも出さずに了承した。
「いいよ。デートしよう」
 俺の言葉に、茜の顔が晴れやかになった。

 海の日の休日に、俺は茜と待ち合わせをした。
 湘南新宿ラインで大船まで行き、その先は茅ヶ崎まで行って、サザンビーチへと辿り着いた。
「暑いわねぇ」
 茜は額の汗を拭った。首筋に後れ毛が張り付いて少し艶っぽい。
「ホントにスゴイ日差しだな」
 お昼少し前にビーチに着いたが、既にビーチは人でごった返していた。
「凄い人混みだなぁ。イモを洗うとはまさにこのことだな」
 俺は妙なところに感心していたら、茜が突っついた。
「早く着替えて、場所取りしましょ」
 そう言って俺の腕を持って強引に海の家に引っ張った。
「いててて。分かったよ」
 俺は、梢からもらったネイビーブルーでボーダーのサーフパンツとピンクのビーチパーカーに着替えた。
 茜も更衣室から水着に着替えて出てきた。茜の水着は、ピーチカラーにドット柄のワンピースで、片方の肩だけのアンバランスショルダーストラップになっていて、フロントは両脇にシャーリングになった水着だった。ただやっぱり茜の胸のボリュームだけは、どんな水着でも目立つ。
「大人しい感じの水着だけど、茜が着ると大胆に見えるなぁ」
 俺は茜の水着を見た正直な感想をポロリと吐露した。俺のその言葉に茜は頬を紅くした。
「そ、そぉ? これでもかなり抑え目の水着なのよ」
 茜の機嫌はすっかり直っていた。俺も少し安心した。
「さてと。パラソルを借りて出陣しますか」
「うん」
 海の家でパラソルを借りて、茜と手をつないで歩き始めた。少し東に歩いた、割と波打ち際に近いところにシートを敷いてパラソルを立てた。座って落ち着くと俺の腹がぐうと鳴った。朝飯を食ってなかったことを思い出した。すると横から茜がおにぎりを差し出した。
「はい、どうぞ。あたしの手作りよ」
 茜の手作り料理は大丈夫だ。ゼミの旅行や徹夜作業の時に既に確認済みだ。
「おぅ、サンキュー」
 俺はおにぎりを受け取って、思いっ切り頬張った。中身は鮭だった。
「やっぱり美味だなぁ、茜の料理は」
 俺はおにぎりを二口で食べ切ってしまった。
「おかわり」
 そう言って俺は茜に手を差し出した。
「はい、おかわりをどうぞ」
 茜はスッと次のおにぎりを出してくれた。
「食べてくれる人が良いからよ。あたしの料理なんて上手じゃないもの」
 そう謙遜するけれど、茜はホントに料理が上手い。比較する相手(同じゼミの女子)が最悪なこともあるが、少なくともお袋以上であることは間違いない。
「そんなことないってば。マジ、美味いんだから!」
 俺が力説すると、茜は益々赤くなって俯いた。
「玉子焼きとか唐揚げとかもあるわよ。たくさん食べてね」
 茜は、彩り良くおかずが盛られた可愛いらしいお弁当箱を俺に差し出した。
「おぅ!全部喰ってやるよ」
 茜は目を細めた。

 茜の弁当を食ってしばらくしてから、腹こなしに二人で海に入って泳いだ。茜は泳ぎた得意ではないので浮き輪を借りた。浮き輪の中に入った茜を浮き輪ごと引っ張って、少し沖までやってきた。
「いやん、足が届かないよぉ」
 茜は急に怖気づいた。ほとんど泳げないという恐怖感がじわりじわりと彼女を襲っているようだ。
「大丈夫だって。浮き輪があるし」となだめる俺。
「浮き輪なんか信用できないわよ」と茜は真剣に眉毛を吊り上げている。
 俺は殺し文句を吐いてやった。
「俺が信用出来ないのか? ちゃんと助けてやる。心配するな」
 俺の言葉に茜は真顔になった。
「ホントに? 安心していい?」
 心配そうに訊く茜に、俺は大きくうなずいた。それを見て茜は、浮き輪を持つ俺の手に両手を重ねた。
「ありがと」
 俺は浮き輪を持っている腕とは反対の腕を水中で茜の身体に回した。
「ほら、こんな風に抱かかえてやるから」
「きゃっ!」
 茜は少しビックリした様子だった。しかし、茜はいつまでもビックリした様子のままで、おまけに顔を赤らめていた。
「うん? どうした?」
 俺は平然と茜に尋ねた。しばらくモジモジしていた茜だったが、意を決して真っ赤になった顔をこちらに向けて言った。
「あの……そこは、そこは……あたしの胸よ……」
 その言葉に俺はビックリした。俺は腕を回し過ぎたのだ。なんか妙に大きく膨らんだ場所だなぁ、妙に柔らかくて気持ちいいなぁと思っていたのだ。俺は慌ててその場所から手を離した。
「あ、ごめん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
 俺も心なしか顔が赤くなった。
「ホントにごめん」
 俺はもう一度謝った。でも、茜はそれ程怒ってない様子だった。
「ううん、いいの」
 か細い声でそう呟いた。
 しばらく沈黙が続いて、二人で波に揺られてた。だが、沈黙は長く続かなかった。茜が顔を赤くしたまま俺にこう尋ねたからだ。
「気持ち良かった?」
 俺は何を訊かれたのか、瞬時に理解出来なかった。
「え? 何が?」
 俺はそう口にした後にハッと気が付いて、慌てて次の言葉を続けざまに発した。
「あ、うん、まぁ、大きくて、柔らかくて、そのぉ、何というか、気持ち良かった」
 俺は大いに照れた。恥ずかしかった。でも、次の茜の態度で俺のテレも胡散霧消した。
「うふふふ」
 茜は笑って、俺に飛沫を掛けたのだ。
「もう、エッチなんだから」
 茜の顔には笑顔が溢れていた。

 真っ青だった空がオレンジ色になり、茜が着替えを終わって更衣室から出てきた。黄色のコットンマキシワンピースを着て、髪の毛はまとめずにそのままだった。髪の毛がサラサラと海風に吹かれて、茜自身はウザイ感じに思っている様子だったが、俺にはとても艶っぽく見えた。
「さぁ、帰りましょ」
 明るい笑顔の茜は、俺に左手を差し出した。俺は茜の左手を見に手で握った。ポチャッと柔らかくて、それで小さい手だった。
 駅までの道すがらは下らない話をしていたが、電車に乗るとすぐに茜は俺の肩に寄り掛かって寝てしまった。それでも茜は俺の右手を握ったままだった。
 スースーと寝息が聞こえてくる。そして髪の毛からはシャンプーの花の香りが匂ってくる。
 俺は握っていた茜の手を更にギュッと握り締め、彼女の頭に頬を寄せた。
 
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