『南の島』

第八話・元の鞘

「ごめん。電話だ」
 俺は瞳にそう告げて、携帯電話を持って海の家の物陰に走った。電話を掛けてきたのは梢だった。俺は着信表示で名前を確認してから電話に出た。
「はい、もしもし。峻だけど」
 俺はいつもと変わらない態度で電話に出た。
「あ、え、私、梢ですけど」
 梢は、俺が電話に出るとハッとしている様子だった。どうやら俺が電話に出ないかもしれないと思っていたようだ。
「あぁ、梢か。それで、何か用?」
 俺はわざと少し怒った調子で言葉を吐いた。
「あ、あの、んー、この前の、えーと」
 梢にしてはハッキリしないモノの言い方だった。
「何だよ、ハッキリしろよ!」
 口調も厳しいが、あえて厳しい言葉を梢にぶつけた。これも作戦だ。
「は、はい。この前はごめんなさい!」
 急にハキハキと答える梢。もうこっちのもんだと俺は思った。
「この前って?」
 俺はわざと訊いてやった。
「あのぉ、峻クンを怒らせて一人で帰らせちゃったこと。ホントにごめんなさい」
 梢にしては、何ともしおらしい発言だ。
「あぁ、あのことね……」
 俺はとぼけた。そしてわざと沈黙した。しばらく無音の通話が続いた。だが、そんなに長く、この無音に梢は耐えられないだろうと、俺は高を括っていた。思った通り、梢が沈黙を破った。
「何か言ってよ。私、耐えられない!」
 梢はもう泣き声だった。それでも俺は沈黙していた。
「私が悪かったわ。私を叱ってもいいわ。ねぇ、お願い、何か言ってよぉ」
 梢は完全に泣き崩れていた。
「私、ホントに峻クンのことが好きなの、誰よりも何よりも。だから私のことを嫌わないで。お願い」
 その言葉に俺は反応した。
「それはホントかい?」
 俺が言葉を発したことで、梢は安堵したようだ。そして怒涛のように言葉を発した。
「えぇ、ホントよ。私を信じて。峻クンが嫌なことは一切しないって約束するわ。だから嫌わないで」
 懇願する梢が妙に可愛い。
「信じてもいいのかな?」
 俺はあえて疑問を呈してみた。
「私、努力する。誓ってもいいわ。だからお願い、嫌わないでよぉ」
 言い切った梢に、俺はちょっと心が動いた。
「分かったよ」
 俺の言葉に反応して梢の声のトーンが変わった。
「ホント? ホントに? 嬉しい」
 しかし、俺は邪魔臭そうに言葉を切り返した。
「後でまた連絡してよ。今ちょっと立て込んでてさ。電話を切ってもいいかな?」
 俺の意外な言葉に梢のトーンは揺れていた。
「えぇ、そんな!……あ、でも峻クンの嫌なことはしないって決めたのよね。ごめんなさい。……峻クン、ありがとう。また連絡するわ」
 梢は慌てて電話を切った。
「慌てなくてもこっちから切ったのに」
 俺は携帯電話を見詰めながらそう呟いた。

 ビーチパラソルのところに戻ると瞳はクーラーボックスを枕に眠っていた。だが、俺が物音を立てたので、瞳は目を覚ましてしまった。
「ごめん、起こしちゃって」
 眠気眼の瞳はボンヤリと俺を見詰めながら、俺に訊いた。
「誰から電話だったの?」
 俺はごく普通に答えた。
「大学の友達で『寿』ってヤツからの電話。飲み会の話だった」
「ふーん。ホントに?」
 瞳が枕代わりにしていたクーラーボックスからコーラを取り出して飲んでいる俺に、瞳は怪訝な顔をして疑問を提示した。
「ホントだってば。証拠を見せようか?」
 俺はブラフをかけた。
「そーゆーことにしておくわ、うふふふ」
 不敵な笑いをする瞳に、俺は「バレてるなぁ」と思いながらも愛想笑いで必死に誤魔化した。
「もう一度、泳いでくるか」
 俺は瞳の腰に手を掛けて抱きかかえた。
「あーん、何するの、もう!」
 急な俺の行動に瞳はビックリしたようだ。
「瞳と一緒に泳ぎたいんだよぉ」
 俺は瞳をお姫様抱っこをして波打ち際に歩き出した。
「もう、峻ったら」
 そう言いながら、満更でもない笑みをしながら俺の首に手を回す瞳だった。

 瞳を家まで送ってからアパートまで帰ってくる頃には、もうすっかり真っ暗になっていた。俺はトボトボとアパートの階段を昇った。すると俺の部屋の前で座っているヤツがいた。
「誰だ、そこに居るのは?」
 俺は警戒しながら声を掛けた。
「あたし。茜よ」
 か細い声の茜に、俺はビックリした。
「どうしたんだよ。女の子がこんなところでこんな時間に! 危ないじゃないか!」
 俺はアカネを叱った。でも、茜は俺の言葉を聞いていない感じだった。
「だって、だって……」
 相変わらずか細い声で話す茜の横に俺も座った。
「何時からここに居るんだ?」
 俺は優しく問い掛けした。
「夕方の五時から」
 茜の言葉に俺は驚いた。
「大丈夫か? 腹は減ってないか?」
 俺の質問に茜は首を横に振った。
「うん、減ってない。大丈夫」
 そう答えた茜だったが、全然大丈夫には見えない。俺は慌てて茜を部屋に入れてクーラーを点けた。そして、冷えたペットボトル入りの水を茜に飲ませた。
 少し元気の出てきた茜に、俺は質問した。
「茜、一体どうしたというんだ?」
 両手でペットボトルを持ったまま、俺の顔を見た。
「だって、だって、寂しかったの」
 茜の頬に涙が伝った。
「あたし、峻クンがいつもそこに居て楽しかった。ゼミでも楽しかった。あの梢さんと居ても楽しかった。だけど、先週、あんな事になっちゃって……」
 茜は大声で泣き出してしまった。こうなるとどうすることも出来ない。俺は黙って茜に近づき、そっと抱き寄せた。
 しばらく泣きじゃくっていた茜だったが、落ち着いてきてポツポツと喋り始めた。
「峻クン、ごめんなさい。あたしが我がままを言ったばかりに、峻クンが怒ったのよね。きっとそうだよね」
 俺は何も言わずに茜の髪をそっと撫でた。何度も撫でた。
「あたしはもう我がままは言わない。だから、前のようにあたしと付き合って。お願いよ、峻クン!」
 茜はまた泣き出したが、しゃくり上げながら俺に問い掛けた。
「ねぇ、峻クン、お願い。お願いだからあたしと、あたしと……」
 俺はそれでもまだ、黙って茜の髪を撫でていた。
「何か言ってよ。お願い、峻クン!」
 これが茜の最後の懇願だと悟った俺は、茜の頬にキスをした。
「え? なに?」
 茜は放心状態だった。
「分かったよ」
 俺はその一言だけを呟いた。その言葉で茜の表情が変わった。
「あ、ありがと」
 その言葉が精一杯の茜だった。
「駅まで送っていくよ。明日、ゼミの段取りがあるだろ。俺と一緒にな」
 そう言って俺は茜にウインクした。そのウインクを見て茜に笑みが戻った。
「うん、そうね。ありがとう」
 俺はかなり疲れていたけれど、無理矢理にでも笑って茜を駅で見送った。
 
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